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亡き母のためのパヴァーヌ(1)

8月25日、13時に母が亡くなりました。


以下、1か月前、7月26日に走り書きした日記。

―――――

今日またお見舞いに行ってきた。


死への恐怖からか、苦痛から逃れるためか、
心だけ違う世界に行ってしまった母親は、
言葉を失い、記憶も失っていた。


誰も認識しない、何も認識しない母親の視界に、
抱き上げられたジュニアが入った途端、

それまで意味を持たなかった母親の動きが、
意味をもって動き出した。


起こしてほしいと表すための突き上げられた腕。


抱き起こし、座らせ、隣に座って膝の上にジュニアを乗せ、
母親に見えるようにする。


その間も、母親の眼差しは、瞬きすることなく
ジュニアに張り付いたまま。


ジュニアに向って、ゆっくりと震える腕が近づいて、
想像できないほどの強さでジュニアの腕を握る。


母親の震えが伝わって、ジュニアまでふるふる震えていた。


閉じることのない、声も発さない口から、
痰が絡んだゴロゴロヒューヒューという音とは別の、
かすれた音が聞こえた。



(ジュニアの名前を呼んだ)


どうやら母親の世界には、
もう誰もいないはずだったのに、
ジュニアだけが、
暗闇に輝く小さなろうそくの灯りのように、
彼女の心に存在し、
求めずにはいられないもののようだった。


ゆっくりと自分の方にジュニアを引き寄せようとする。

膝の上に座らせる。

表情は変わらないのに、何か気に入らないらしい。


看護師さんが「もしかして顔が見えるように抱っこしたいのかも」と。

肩に抱き上げるような形でジュニアを持たせかけ支えると、
腕がゆるゆると動いて、ジュニアを抱きしめる。


パパもママも視界から見えなくなったジュニアはすぐにぐずるので、
引き離そうとすると、
母親の腕は意志をもってジュニアから離れなかった。


「ちょっと疲れたみたいだから、休憩させてあげて?」

ようやく手から力が抜ける。

目はやはり、ジュニアに釘付けのまま。


するとジュニアから目がそれたかと思うと、よだれかけに視線が。


よだれかけにつけてある、
おもちゃが落ちないためのクリップを必死で外そうとする。

ジュニアを抱っこする時に邪魔だったのだ。


ジュニアの機嫌をメガネさんと二人でよくして、

「おばあちゃんがジュニアをいい子いい子ってしたいらしいから、
 また抱っこさせてあげてくれる?」

と話して、ようやく母親の腕の中でおとなしくしたジュニア。


でもやはりそうそう持つわけではなく、
私がジュニアを抱き上げると、
母親がまたかすれた音を出した。

をっ



もっと、か。

私は急に病室が“おしまいの部屋”に思えた。

母親の、彼女の人格の、おしまいの場所。

命のおしまいの場所。

私の、娘としての存在のおしまい場所。

親孝行できる最後の場所。


嫌いで苦手で、もう一生関わりたくなかった母親への、
嫌悪感が終わった場所。


すべてがおしまい。


私は帰ってきたよ。


ただいま。


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